修平のロシア日記

2005年
@ 2005年08月15日 はじまり
A 2005年08月24日 サンクトペテルブルグに到着して
B 2005年08月30日 こっちでの食事
C 2005年09月05日 ロシア選手権大会
D 2005年09月07日 フルコート!
E 2005年09月16日 苦い思い出
F 2005年09月29日 no pain, no gain
G 2005年10月19日 セルゲイ・ラピン27歳の誕生日
H 2005年10月24日 サンクトペテルブルグ大学
I 2005年12月20日 Russian Winter Championships @

J 2005年12月28日 Russian Winter Championships A

2006年

K 2006年01月10日 с новым годом!

L 2006年05月31日 ロシアカヌーポロの今

M 2006年06月05日 ロシアから見た日本という国









2005年08月15日 はじまり

ロシアに来て、早一月が過ぎました。

先ずは、紫陽花カップでのサインボール及び佐倉での壮行会にわざわざ足を運んで頂いた皆様方、ホントにありがとうございました。カヌーポロを10年間続けてきて、環境が変わるに際してあれだけたくさんのみんなから壮行して頂いたことに感謝感謝です。

改めてありがとうございました。

さて、ロシアでの生活はというと、、

取り敢えず元気にやっています。ここサンクトペテルブルグでは大学に通いながら先ずは集中してロシア語をマスターすることになっており、ここに到着した翌日から早速に授業が始まり、東京で毎日深夜まで働いていた時とは対照的な日々を送っています。

因みにロシア語はキリル文字という文字を使っており、アルファベットと同じ文字もあるものの、発音や文法などは英語とも異なっており、英語で言うところの「this is a pen」から始めていて、発音するときの舌の巻き方など基本的なことを日々やっているところです。

ここでは、英語はほとんど通じず、逆にロシア語を使わないと生活が成り立たないので、言語をやるのも必死で、お陰で片言ながらもジェスチャーも交えながら、英語とは全く異なるイントネーション/発音に四苦八苦しながらも、何とか何とかコミュニケーションを取っています。

僕が暮らしているサンクトペテルブルグは広いロシアの中でも、西端に位置し、最もヨーロッパ側に近いところにあります。300年ちょっと前に建都されたところで、昔のロシアの首都になったこともある街で、世界五大美術館の一つと言われるエルミタージュ美術館を始め多くの歴史的建造物があり、世界遺産にも登録されている綺麗な街です。街中の至るところに風光明媚な佇まいがあり、歩いていて飽きることがありません。

7月は白夜も手伝って、到着早々はこの街を知る為にも夜遅くまで毎日街中を散策していました。(最近でこそ大分日が短くなりましたが、それでも、22:00過ぎにに夕日がきれいで、23:00頃に暗くなる感じです。逆に冬は日がめっちゃ短くて、10:00日の出の15:00には暗いらしい。。)

ロシア、日本にいるとあんまりいいニュースを聞くことはなくて、僕自身いいイメージは持っていませんでしたが、実際一月暮らして思うことは、日本のマスメディアを通じて伝わってくるロシア像は多分に偏っており、この国に就いての適切な理解が得られていないということ。ロシアに就いて、もっと正しい姿を知って欲しいということです。

ということで、今後も小ネタを挟みながら定期的に情報発信をしていきたいと思います。

次回は、こっちでのカヌーライフに就いて書きます。










2005年08月24日 サンクトペテルブルグに到着して

ここサンクトペテルブルグ到着後すぐは、諸々の手続きをしたり、領事館に行ったり、HIV検査を受けたり(※)、当面の生活に必要なものを揃えたりで、こっちの生活に慣れることだけで忙しい日々を送っていたが、到着して1週間も経つと、どうも体がしっくりこない。

兎にも角にも歩いていてホント飽きることが無い街なのだが、どんなヘトヘトになるまで歩き回っても陸の上だけだとどうも物足りない。自分の生活にカヌーが足りないことに気付くのに時間は要せず、こっちの生活に慣れることよりも先に、こっちでのクラブチーム探しを始めた。(正直なところ、現地に慣れるためには、現地の友達を作ることが一番手っ取り早く、その意味でもこっちでカヌーをすることは僕にとって何よりも必要だと考えていました。)

日本にいたときからこっちの人とメールで連絡を取り合ってはいたものの、いざこっちに来てみたら連絡がつかず、取り敢えずどこでカヌーをしているのか知らないことには何も始めることが出来ず、www.canoepolo.comに書き込むことにした。ロシアでは英語を話す人がとても少ない為、始めて間もないたどたどしいロシア語で草稿、学校の先生に添削をしてもらい、何とか文書を作成、書き込みをして待つこと数日、モスクワチームの人がペテルブルグでのクラブを紹介してくれた。(考えてみたら、僕の初めての海外遠征であるオーストラリア遠征の時も、遠征準備で向こうとやり取りをする度に学校の英語の先生に文章を見てもらい添削をしてもらっていた。そんなん繰り返してたら英語を話せるようになったんだけど、やっぱり自分の興味のあることを足掛かりに色々やるのが言語習得の早道だと思う。)

僕が入れてもらったクラブチーム(http://www.wildwater.ru/)は、市の中心部から少し離れた運河に艇庫があり、流れが無いところで普段練習をしている。基本スラロームがメインであり、運河にはちゃんとしたゲートが設置されており、練習のときは常にコーチがいて、ゲートを使っての練習をメインに、ダッシュ、ロングなど正味二時間の練習が毎日ある。

このクラブは、川でのツーリング/ラフティングをクラブ運営としてやっている為、週末は郊外の流れのある川で練習がある。サンクトペテルブルグから車で約二時間のところに川があるのだが、ペテルブルグのスラ選手は大抵週末はここに集う。(週末は常にテント生活なんだけど、週末のキャンピング生活はまた書きます。)

クラブに所属する人は20代〜40代の人がメインで20人程度。競技嗜好の人だけでなく、大会には出ずに趣味の為だけにカヌーをしている人も多く、そんな人も同じ練習メニューをこなしてロングを漕いだりしていて、不思議だったりする。

肝心のポロはというと、常設のコートはなく、週に一回、仮設のゴールを設置して練習しており、ポロ艇こそクラブ所有のものが10艇あるものの、ヘルメット/ライジャケ共に付けずの練習で、カヌーポロ曙期であることが伺える。しかし、基本スラロームで鍛えられている選手達なので、大概外人特有の身体能力の高さを持っており、日本とは全く異次元のカヌーポロを楽しむことが出来る。(実際、みんなぶっとい体をしており、僕が一番細く小さいです。)

しかし、ここロシアで初めてカヌーに乗り、漕げたときはとても感動したし、初めてゴールを使って3対3をしたときも、ストレッチャーが無い艇とアルミシャフトのパドルが気にならないぐらい嬉しかった。(カヌー出来る喜びを噛み締めました、ホント)

こっちのクラブチームに合流して間もない頃、チームメートから8月の頭にロシア選手権があるとのことを言われた。ウズベキスタンなど海外からも参加がある大会にて、日本人の僕も出ないかとのこと。折角だから、ポロだけでなく、スラロームも出ようと言われ、二つ返事で両方とも出ると答えました。

続く

※こっちでは、長期滞在の外国人は入国後HIV検査を義務付けられており、HIV検査の結果が陽性の場合は、即刻国外退去となる。何故だか分からないんだけど、サンクトペテルブルグはHIVの感染率が高いということが言われています。










2005年08月30日 こっちでの食事

こっちのクラブチーム合流後、平日の夜は市内で、週末は郊外の川で練習という日々が始まった。

平日は20:00に集合、2時間練習をしてその後すぐ解散なのだが、週末郊外での練習は1日中一緒にいるので、食事を共にすることが出来、こっちでの食習慣が分かって面白い。

こっちに来て、最大のカルチャーショックは何かと聞かれると正直困る。これは勘弁して欲しいということもないし、これだけは受け付けられんというのものない。(僕が気にしていないだけなのかもしれないけど、、)しかし、どうもこっちでの食習慣だけは慣れることが出来ない。

始めて川に行ったのがとある金曜日の夜。いつものように日中学校で勉強をし、夜練習してから、郊外の川に向かった。到着したのが、遅かったこともあり、その日はテントだけ建てて、就寝。




翌朝、朝食に招かれたのだがそこでは正直びっくりした。

まず、カーチャと言われるおかゆみたいなもの。麦を煮込んでいるのだが、口にすると甘い。砂糖が入っているのだが、朝からこれは厳しいと思っていたら、回りの人はテーブルの真ん中に置かれた白い液体を更に足している。よくよく見たら練乳を、大さじ二杯づつカーチャに混ぜている。

断るのも当然失礼なので何とか頑張って食べ終え、食後の紅茶。ふーっと一息付きながら、苦い紅茶を飲んでゆったりしていると、またびっくり。みんなあれだけ糖分摂取したのに、今度はまた紅茶に砂糖を大さじ三杯づつぐらい入れている。紅茶に練乳を足している人もいる。カーチャで足りなかったのか、パンを食べている少年は、これまたびっくりするぐらいの量のバターをパンに塗っている。

これでいいのかなと思いながらも、でも一緒に練習しているチームメートの体を見ていると、とても引き締まっている。同じことをすれば、僕も同じ体になれるかなという発想はさすがに湧いて来ず、朝からげんなりした。

他にも、ロシアでは、スメタナなるサワークリームみたいなものが、ロシア料理には欠かせない大事な乳製品となっており、色々な料理に使われている。ここではランチが一日で一番大事な食事となっており、普段お昼にスープを飲むのだが、スープには必ずこのスメタナが一緒に出てくる。そしてそのスープはというと、とても油っこい。

ロシア料理は味自体とても美味しい。日本を出発する前、料理が舌に合うかということは地味に心配していたのだが、色々食べ歩いていると、とても食べ応えがある。

しかし、兎にも角にも、こっちの人の糖分、油分、乳製品をよく取る習慣には慣れることが出来ない。長くつらい冬を乗り切る為の長年の知恵の結果なのか分からないが、こればかりは閉口。仮にもダイエットとかって口にしていたものとしてはさすがにこたえた。

こちらに来て間もなく、自炊生活を始めた。(否応無しにという感じです。)家ではなるべくカロリーの低い料理を作るようにしています。

しかししかし、2年後とかってどうなるんだろ?さすがに心配だったりします。










2005年09月05日 ロシア選手権大会


8月の5日から7日の3日間に亘って、ロシアカヌー選手権大会が開催された。(スラロームとカヌーポロの開催にて、レーシングは別開催。)

参加選手は総勢約150人。大会会場には、警察官が交通整理の為に出動していたり、テレビクルーが取材に来ていたりとそれなりの盛況を見せていた。

スラロームのカテゴリーとしては、K-1男子(70名)、K-1女子(30名)、C-1男子(30名)、C-2男子(15組30人)。それ以外に、3艇1ペアとなりスラロームをする「コマンド」なる競技があった。(通常のスラロームとコースは一緒にて、3艇同時にスタートし、3艇全てゴールした時点でのタイムを取り、3艇分のペナルティーを足し、ポイントを出すもの。ゲートは同時に通れない為、ゲート通過のタイミングをずらす必要があり、3艇のチームワークが問われる。)

カヌーポロはというと、2日間の開催にて6チームの参加。5対5での競技が予定されていたが、参加選手数の理由により急遽4対4へと変更されたり、スラロームのスケジュールが優先される為タイムテーブルがコロコロ変わるなど、所謂「競技」と呼ぶには程遠いのが現状。(スラのレースがあるので選手が足りず、試合開始が延期されるというのはしばしばで、次の試合がいつあるのかも分からないというのが当たり前だった。)

現在ロシアでカヌーポロがあるのは、4つの街。モスクワ及びサンクトペテルブルグ、そしてノブゴロドとヤロスラーブリという街で何れもロシアの西側に位置している。その中でも、カヌーポロをメインでやっているのは唯一モスクワのチームのみである。

昨年の冬にオランダのチームがモスクワの大会に参加したり、また今年に入ってモスクワチームがフィンランドに遠征に行くなど、モスクワでのカヌーポロは活発だと言うことが出来る。8月にモスクワであった大会には、1部4チーム、2部6チームの計10チームの参加があり、想像していたよりこっちのカヌーポロ人口は多い。

因みにロシアにカヌーポロが入ってきたのは10年前と言われており、ロシアカヌー選手権の種目に含められたのが2年前。まだまだ曙期であることに変わりはなく、カヌーポロ委員会のような公的な組織は存在しておらず、代表チームもまだ形成されておらず、よってロシア代表チームの世界選手権及び欧州選手権への参加はまだない。

ロシア選手権を通じて感じたこととして、全体を通してとても和やかな雰囲気であったということ。ロシアno.1を決める大会にてもっとピリピリした雰囲気を想像していたが、少なくとも水の上を離れた陸の上でそういうものを感じることはほとんどなかった。開会式/閉会式もとてもフランクな形で行われ、カヌーを通じてロシア文化を垣間見ることが出来た貴重な経験となった。

また、ロシア人のスポーツに対する姿勢はもっとストイックなものを想像していたが、結果を残す一流アスリートでも気さくな人間が多く、当然練習はストイックにやっているのであろうが、それを感じさせない人当たりの良い人が多いことは正直意外であった。(大会期間中ずっとファンキーなかつらをかぶったやつがいたのだが、大会の表彰式で始めてそいつがC-1のロシア代表であることを知ってびっくり。。)

また試合会場には簡易な観客席が用意され、カヌーポロも試合が始まるとどこからとなく人が集まり、応援の方も盛り上がりを見せる。特にモスクワチームとロシア第二の都市であるサンクトペテルブルグチームの試合は応援にも力が入り、カヌーポロの試合の応援に人々が盛り上がっている光景をここロシアで目にすることが出来るというのはとても感慨深かった。


個人的にどうだったかと言うと、

スラロームの方は、実質初レースにて相当に息巻いての参加であったが、いざスタートしてみたら、ゲート不通過数知れず、何とかゴールしたものの、ゴール後肉離れかと思うほどの重度の足攣りをお越し、2本目は棄権せざるを得ず敢え無く1本のみでリタイヤ、K-1参加者68人中68位(最下位!)という結果に終わった。

足攣りの方は相当に深刻で、本業のカヌーポロも出来ないんじゃないかと思う程痛みが続いたが、ロシア製の鎮痛クリームを何度も塗り込み、何とかカヌーポロの試合に参加。僕のチームは打倒モスクワを目標に掲げ優勝を目指して臨んだが、敢え無くモスクワチームに敗退、同じペテルブルグの他のチームにも破れ、結果は6チーム中の3位。

正直大会では救世主ばりの活躍を期待されていたのだが、チームスポーツにおいて個人で出来ることには限界があり、自分としてはチームバランスを考えながら出来る限りのことをやったつもりだったが、やっぱりいかんとも出来なかったです。普段からポロの練習をしているモスクワチームに、スラの元ロシア代表が二人いるとはいえ、やっぱり付け焼刃的な練習しかしていないうちのチームが勝てる訳が無く、脆くも敗れ去りました。

でも、ロシア選手権改めて貴重な経験が出来ました。

次回以降、こっちの物価事情などカヌーとは関係ない日常生活について書きたいと思います。

 










2005年09月07日 フルコート!

常設のフルコートが出来ました!

コートと言っても、コースロープ無いし、ゴールも簡単な木枠だけだし、スラロームのワイヤーが邪魔だったりするんだけど、兎に角ゴールが二つあってゲームが出来る!

コートが出来てから、いい感じにポロ熱が高まっており、ポロの練習も週3に増えました。

因みに練習メニューはというと、軽くUpしてからシュート練習、その後は延々ゲームをしています。7分ハーフとか10分ハーフとかいう概念はなく、1時間近く延々とコートチェンジもせずにゲームをしている(これにはさすがにびっくり)。

途中ファールでゲームが止まるとルールの解釈で必ず議論になるので、その時に休憩をしてという感じ。ロシア語の議論にはまだまだ割って入れない僕は、耳を傾けるものの、基本的には横で静かにしています。(ロシア人の議論はほとんどの場合白熱することが多い。)

しかし、改めて現役スラロームの選手の漕ぎには驚かされる。艇操作、艇スピード、スタミナなどカヌー絡みのことで勝てる要素無し。ボール操作こそイマイチで、ポロ的には荒削りなところがたくさんあるものの、学ぶことがたくさんあって良い。

しかし、ゲームはやっぱり楽しい!スラロームはスラロームで楽しいんだけど、ゲームをすると自分はやっぱりcanoe polo playerであることを再認識します。










2005年09月16日 苦い思い出



先日外を歩いていたら、警官に呼び止められた。

パスポートを携帯しているかとのこと。

ロシアでは外国人は常にパスポートを携帯することが義務付けられており、街中では時折パスポートチェックが行われている。

ちょっとの散歩のつもりで外に出た為パスポート不携帯であることを思い出したが、気付いた時には遅く、警官に言われるが儘に止まっているパトカーに乗せさせられた。車の中で一通りの尋問をされ、ポケットに入っているものを全て出せさせられ、そして持っているデジカメにいたっては、写っている写真全てを確認された。

歩いてすぐのところにパスポートがあることを説明したが、警察署もすぐのところにあるから、そこで話をしようと言う。たどたどしいロシア語で色々と話をしたが、全く取り合ってくれない。

話しをしていたら突然警察官の方から親指と人差し指をこすり合わせながら、お金を払えば釈放してやるとのことを切り出してきた。何ともあきれた話で、取り敢えず俄にロシア語が分からない振りをしていた。

困り果てていたのだが、携帯があることを思い出し、携帯で電話する許可を何とか得、ロシア人の友達に電話、友達に電話で説明をしてもらい、寸でのところで事なきを得たが、何とも苦い経験となった。

因みにここロシアでの警官の給料は日本円で2万円程度だと言われている。しかし、そんな警官が補導の度に「小遣い稼ぎ」をし、高級外車に乗っている警官が一部いるという話も聞く。

僕は基本的にロシアという国が好きである。文化・芸術・人など尊重出来るものがたくさんある。

しかし一方でこの国に尊重出来ないものがあるのも事実である。ロシアの賄賂文化の話は前々から聞いていたが、今回は何とも苦い思いをしました。










2005年09月29日 no pain, no gain




先日、ロシア人のカヌー友達とフィンランドの国境近くに行ってきた。国境近くというととても遠く聞こえるが、地図を見て頂ければ分かって頂けると思うが、ペテルブルグからフィンランドの国境はすぐ目と鼻のところに位置している。

フィンランドとの国境近くはカレリヤ地方と言われ、湖がとても多く、欧州最大の湖と言われているラドガ湖(南北200km、東西150km!)なども位置しており、水がとても豊かなところである。

今回の目的は、滝下りをすること。ペテルブルグ近郊は基本平野続きであり、山が無いので、落差のあるところが無い。フィンランド近くは勾配があるところが少しあり、カヌーで下れる滝があるとのことで、黄葉がちょうど始まる中車で行って来た。

因みに、ロシア人と言うとどういうイメージをお持ちだろうか?

「怖い、とらえどころがない、よく分からない、冷たい」

正直いいイメージは余りないと思う。或いは、テニスのシャラポアなりK-1のヒョードルなり海外で活躍するロシア人のイメージが強いかもしれない。

地球の歩き方には、「すぐ心が熱く燃え立ち、極端に走りやすい民族。一見すると、とっつきにくく無愛想で冷めた表情の下には、激しく、豊かな感情が秘められている。」と書かれている。正直始めてこの文章を読んだ時、あまりピンと来なかったのだが、今回の滝下りでロシア人の民族性を少し垣間見た気がする。

滝下りはいいのだが、いざ時間を掛けて到着してみると、とてもじゃないが、カヌーで下れるような滝には見えない。至るところに岩肌が剥き出しになっており、水量も相当なものである。ロールしようものなら、岩肌に体を切り裂かれるのは必至である。最初見たときに、これは幾らなんでも無理だろう思った。

川を見ながら、色々と話していたのだが、暫くすると1人が下ると言う。最初は半信半疑だったのだが、気付けば着替えて準備をしている。滝の落ち込みにはまったときのことも考えて、命綱も用意。

みんなでどきどきしながら見ていたのが、無事に下りきった。自然とみんなで彼に敬意を表し拍手を送る。

びっくりしたのはこの後なのだが、お世辞にもカヌーが上手いとは言えない他のメンバーも下るといい始めた。ロールも怪しく無謀としか思えなかったのが、それこそ一度こうと決めたら止められる感じではなかった。

再度言うが、度胸試しとかいう範囲はとっくに超えている滝だった。写真で伝えきれているか分からないが、本当に危険な滝で、ロールしたら大怪我の可能性も十分有り得る場所だった。

圧巻だったのが、写真のアンドレイ。



最初トライをしたものの、途中で転覆。みんなで息を呑んだのだが、滝壷からは無事に出てきた。取り敢えず、みんなで胸を撫で下ろしたが、気付くと右腕が赤い。岩で手を切っている。緊急処置をして、包帯を巻いた。

これでもう当然終わりかと思いきや、包帯を巻いた手で再度トライをすると言う。。他のメンバーもまた、アンドレイが怪我をしたのを見ているのに、それでもトライをすると言う。。

no pain, no gain.(痛み無くして、得るもの無し)

no risk, no return.(リスク張らずして、見返り無し)

painなくしてgainはなく、riskなくしてreturnはない。一方で、そこにあるgainなりreturnが大きいとpainなりriskが見えなくなることがある。極端に走りやすいという地球の歩き方のロシア人に関する著述も、あながち間違っていないことを実感した。因みに、僕の数少ないロシア人友達を捉えて、ロシアの民族性に就いて語るつもりは全く無く、これはあくまで僕が個人的に感じたことである。

情熱的なのか、単に無謀なのか。でも、ロシア人改めて奥が深いです。ロシア人に就いては、今後も折に触れ色々と書きたいと思います。

追記 ペテルブルグの郊外は9月末にして、既に霜が降りています。小さい水溜りには氷が張っており、こっちは9月にして既に冬を感じます。










2005年10月19日 セルゲイ・ラピン27歳の誕生日


先週末、友人の誕生日会に行ってきた。

セルゲイ・ラピンは、カヌークラブのチームメート。この前のフィンランドの国境近くの滝下りにも一緒に行った友達で、大会にはポロ/スラローム共に参加しないし、練習にも余り来ないんだけど、ロシア語のよろしくないスラングを色々と教えてくれる大事な友達で仲良くしている。


誕生会自体は、金曜日の夜から日曜夜まで週末挟んでずっと(!)あったのだが、僕は土曜日の午後から参加してきた。

こっちでは、誕生会というと大抵友達でワイワイ集うのが一般的らしく、今回はセルゲイの別荘にみんなで集まった。全部で30人近くの人がパーティーに参加したのだが、泊ったのがそのうちの半分程度。いつものカヌーメートだけでなく、ラピンの幼馴染や仕事仲間も来ていて、色々な人と会うことが出来た。

日本ではバースデーパーティーと言うと小学生や中学生までというのがほとんどで、高校生以降は友人同士でお互いに祝ったりするというのは多くないと思うのだけど、それとは対照的であった。

因みに、別荘と言うととてもリッチな響きがするが、ダーチャと言われるこっちの別荘は、ロシア人にとっては一般的なものであり、ほとんどの人が郊外に土地を持っており(旧ソ連時代に政府から割り当てられている)、そこに簡単なログハウスを建てて、週末であったり休みにゆっくりする人が多い。

誕生会は基本的にはひたすら飲んで、食べるという感じであった。アルコールがどっさり用意されていて、到着後BBQの準備をして取り敢えずヴォッカで乾杯。その後も、ヴォッカ、ワイン、ビールを片手に、テーブルには常につまみが用意されていて、ずっと馬鹿話をしていた。夜は夜で、適当な音楽をかけ、居間で遅くまで踊っていた。

翌朝は、遅くにぞろぞろと起き出し、台所で話しながらまたみんなでだらだらする。人によっては朝一からビールを片手にしている人もおり、他の人も朝の紅茶を飲んで一息つくとアルコールに移行という感じである。

今回面白かったのが、ヴァーニャというロシア式サウナに入ることが出来たこと。サウナ自体は日本にあるものと変わらないのだが、ロシアでは白樺の枝っ葉を別途用意し、この枝っ葉を使って体を叩く。枝っ葉で叩くというととても痛い感じがするが、実際は事前に枝っ葉をお湯にひたすので、いい感じにしんなりして、ちょうどマッサージのような気持ちよさがある。サウナで汗を掻いては、枝っ葉で体を叩き、外で体を冷やし、そしてまたサウナに入る。こんなことを繰り返しながら、1時間から2時間くらいかけてゆっくりとサウナを楽しむのである。

しかししかし、ロシア人はよく飲む。丸1日土曜の昼間から日曜の夕方まで飲み続けていた気がする。日曜日の夕方に漸くセルゲイのダーチャを後にし、19:00頃に街中に戻ってきたのだが、駅前でおろしてもらったときに、そこいらでちょっと軽く飲んで行こうと言われたときにはさすがに閉口した。。

追記

予想外れたが、ペテルブルグの先週末の天気予報は何と「雪」!結局降らなかったけど、初雪が降るのも時間の問題かと思います。











2005年10月24日 サンクトペテルブルグ大学


僕が今ロシア語を学んでいるのは、国立サンクトペテルブルグ大学というところである。


サンクトペテルブルグ大学は1819年帝政ロシア時代に創立された旧ソ連で最も古く大きい大学の一つ。15の学部があり、学生数約2万人、教授/研究者あわせて約3千人いる総合大学である。その大学の一機関であるロシア語文化センターというところでロシア語を勉強している。

到着後2ヵ月は、個人レッスンという形で先生と1対1で集中的にロシア語の基礎を詰め込み、9月に入ってから他の外国人留学生と一緒にグループレッスンを受けている。

ここの面白いところは、多くの国から様々なバックグラウンドを持った人達が集まっているということ。マイナーなカヌーポロをする人達ってちょっと変わった人が多いと思うんだけど、ロシア語然りで、外国語として決してメジャーとは言えないこの言語をわざわざ勉強したいと思う人って個性的な面白い人が多い。

今日は、そんな僕のクラスメートを紹介します。

マルへ(オランダ、30歳)
オランダ/ロシア文化交流センターのようなところで働きながら、ロシア語を勉強中。ロシア語をマスターしたら、オランダの外務省で働きたいと言っている。こっちで近々シンポジウムがあるらしく、仕事の合間を縫いながらの勉強でいつも忙しくしているが、そんな忙しさを全く感じさせないおっとりとしたオランダ人。

ニンケ(ベルギー、25歳)
元弁護士。ニューヨークのロースクールに通っていた時に出会ったペテルブルグで働いているボーイフレンド(スイス人)を追いかけてロシアにやってきた。暫くしたらボーイフレンドがモスクワに転勤になるらしく、ここで勉強した後はモスクワで法律関係の仕事を探すと言っている。ベルギーのオランダ語圏に住んでいたらしく、マルへとはオランダ語で会話をしている。

マイヤ(フランス、24歳)
今までカリブ海、アメリカ、スペイン、イギリスを転々としており、フランスに半年しか暮らしたことの無いフランス人。フランス語以外に、英語/スペイン語を話し、ロシアで暫く勉強した後は、カナダで仕事をしながら今後の人生に就いて考えたいと言っている。故郷意識は全く無く、色々なことにリベラルな考えを持っている。因みに親父さんはカリブ海でホテル経営。

パクシー(韓国、29歳)
ロシア文化に興味を持ち、ロシア語を勉強しに来ている。ロシア語を勉強した後の具体的なプランは今のところなく、韓国に戻って年下の彼氏と結婚すると言っている。パクシーに限らず、ロシア文学やロシア音楽、ロシア美術に興味を持ち、ロシア語を勉強しに来ている学生はとても多い。

以上4人がクラスメートで、みんな女性です。

他にももう帰国しちゃったんだけど、古代アルメニア文化を専攻しているイタリア人や、国連のイタリア事務所で働いていたドイツ人の旦那さんを持つハンガリー人、物理学の大学院を卒業し年が明けたらドイツの研究機関で働くアメリカ人、学生時代に専攻したロシア語を定年後にまた勉強したいと思い立ち奥さんを国に残し勉強しに来た日本人などホント色々な人達がここには集まっている。

日本を離れて改めて思うことだが、世界には色々な人達がいるということ。みんな色々な人生を歩んできているし、多様な価値観を持っているし、今後に就いての考え方も一様でないことに毎度刺激を受ける。

また、共通言語である英語の大事さも今更ながら痛感している。ロシア語を学ぶ人って、ロシア語を第二外国語なり、第三外国語として勉強している人がほとんどで、英語を話せないということが先ず有り得ない。授業の補足説明は英語で行われるし、お互いロシア語がまだ十分に話せない他の留学生とのコミュニケーションは全て英語である。当然ロシア語を勉強しにきているのだが、いい意味で英語のブラッシュアップをする機会になっている。










ご無沙汰です。すっかり最近日記の更新を怠っておりました。

気付けば今年も残すところ僅か。師走と言うと、東京にいた頃は忘年会続きで肝臓的に優しくない日々を送っていたのが常だったのですが、こっちでは飲み過ぎることもなく穏やかにそして健やかに年の瀬を過ごしております。

1月7日にキリストの生誕を祝うロシアでは、12月25日に何かを祝うと言う風習はほとんど無く、日本であれば11月末頃から街中がネオンで賑やかになるのが、西欧諸国よりクリスマスが遅いここロシアでは12月も中頃に入って漸く街名にクリスマス用のネオンが灯り始めるという感じです。

しかし、ペテルブルグは暗い。夏場に白夜がある分、冬場はホント日照時間が短くなる。12月中旬段階で朝9時過ぎから漸く明るくなり始め、夕方は3時過ぎから暗くなるという感じなので、最近通学時は暗闇の中での移動というのが当たり前という感じです。

朝は大抵8時頃の起床なのですが、起きるときはほとんど真っ暗闇で、今でこそ大分慣れましたが、当初は相当にげんなりしていました。クラスで授業を受けながら朝日を眺め、そしてまた夕日をも学校で見るというのもステキな経験といえばステキな経験ではあるのですが。。

寒さはと言うと、今年は暖冬ということもありそこまで寒く感じることはありません。10月末の初雪以来、11月中旬以降は毎週雪が降っているのですが、気温は大体0度くらいで推移しており、一時期‐10度まで冷え込んだのですがそこまで寒いと感じることもなくやっています。


でも、ロシアの冬はこれからが本番なので楽しみに待ちます。




さて、先週末(12月18日)モスクワで開催されたRussian Winter Championshipsに参加してきました。

チームは全部で9チームの参加。モスクワから5チーム、サンクトペテルブルグから2チーム、ノブゴロドから1チームの参加があった他に、アイルランド/オランダ/スウェーデンの混成チーム、そしてリトアニア(!)からもチームが来ていました。

方々からの参加があった為に、期せずして何とも国際的な大会になっていました。

海外からの混成チームは、2004年の世界選手権(@日本)及び2005年のWorld Games(@ドイツ)覇者オランダナショナルチームの一員にしてかつてロシアで留学してたRobert Aitkenが来ていた他に、長年アイルランド代表を務め1998年来の戦友(僕が一方的にそう思っているだけだけど)にしてcanoepolo.com(http://www.canoepolo.com)を運営しているMaster G、そして2002年世界選手権からちょこちょこメールをしていたスイス代表のNecklanも来ていて、ロシアで会うことを全く予想していない面々に再会することが出来たという意味で、個人的にはとても楽しかった。

今回は寝台列車を使っての移動だったのですが、大会を含めまたまた色々貴重な経験をさせてもらいました。

続く











12月24日、朝起きて久し振りにベランダに出て外を眺めていたら、フィンランド湾が凍っていることに気が付いた。


街中の運河がまだ凍り掛けなので、まさか海が凍っているということはないだろうと思い込んでいたので、相当にびっくりした。それも海上を相当遠くの方まで人が歩いていて、俄かに自分が目にしている光景が現実のものとして信じることが出来なかった。

しかし、ロシアにいると日々の季節の移ろいにとても敏感になる気がする。何よりも日照時間の変化が肌で感じられるぐらいに早いこと。こっちに来てからの半年間、日は短くなる一方だったのだが、日が短くなるのにあわせ夏の終わりを知り、秋の訪れを感じ、そして冬がやってきた。日に3分から4分くらいの速さで日照時間が変化しており、同じ夕日にしても日々太陽が落ちる時間と場所が変わる。(実際夏場と冬場では、夕日の太陽の位置が全く異なる)


冬至が過ぎ、これからは日が長くなるのだが、ペテルブルグはこれからが冬本番。どんどん明るくなっていく一方で、冷え込みは本格化し−20度、−30度の世界が待っている。

さて、Russian Winter Canoe Polo Championships、大会はプールレンタルの都合で一日限りの開催。日曜日に開催された大会参加の為に、土曜日の夜にペテルブルグを経ち、日曜日の朝にモスクワに到着し大会会場にそのまま直行、大会をこなし、その後のClosing Partyでたっぷりとビールを飲み、またまたモスクワ01:20発の終電に揺られ、月曜朝にペテルブルグに戻ってくるという強行日程での参加であった。

寝台列車はしかしなかなかに味がある。

25両編成ぐらいの長い長い車両なのだが、先ず車両に乗る前にパスポートチェックがある。ロシアでは、国内であっても長距離の電車での移動はパスポートの提示が義務付けられており、ロシア人であってもパスポートを提示しないと乗ることが出来ない。(ロシアではいまだに住居制限があり、勝手に都市間を引越しすることが許可されていない。)

パスポートチェックを終え、漸く車両に乗り込むのだが、車両内の電気が付いていない為に異様に暗い。電気節約なのかよく分からないのだが、出発までのそれなりに長い間、プラットホームの光だけを頼りに、狭いコンパートメントの中で、面識のないもの同士黙って座っている。何とも、空気が重たく感じられる。。

因みに今回は一番値段の安い車両での移動だったのだが、所謂コンパートメント毎の区切りが無い車両だった。日本と同じように二段ベットが二つ向い合っており、廊下があるのだが、廊下とコンパートメントの区切りは無い。所謂林間学校の部屋がそのまま車両になったという感じである。男女の区分けは無く、ベット毎のカーテンなどもなく、女性が着替える時は他の人にお願いしてタオルで隠してもらって着替えるという感じである。

そんなんもしかし旅情があり、車両が出発して暫くするとコンパートメント内での世間話が始まる。今回のコンパートメントは、チームメートの他におばちゃんが二人、そして逆側の窓添いの二段ベットを使っていた親子連れで、ちょこちょこと話していた。

今回の移動で印象的だったのは、どこから見ても怖い人にしか見えない目つきの鋭いスキンヘッドのお兄ちゃんと話したこと。同じ車両内でそんなスキンヘッドを見かけ、最初はいっちゃっている人にしか見えなかったので相当に関わりたくないと思っていたのだが、たまたま車両間の踊り場で出くわし話し掛けられたのだが、その内容にびっくり、僕が日本人だと分かるや否や松尾芭蕉に就いて語ろうと言う。僕自身、松尾芭蕉に就いては全然詳しくないのだが、それでも覚えていることを何とか繋ぎ合わせ、つたないながら話しをしてきた。人は見かけで判断してはいけないということを、今更ながら感じた。

そんな貴重な経験をしながら、モスクワに到着。

前回記述の通り貴重な再会を果たし、ロシアではなかなか目にすることが出来ない一流のプレーを久し振りに間近で感じ、よき刺激を受けてきた。

大会の様子は下記から。

http://kayaker.ru/content/view/50/31

因みに、アイルランドのエースを長らく務めてきたStretchはイギリス人の彼女を追いかけ、現在はロンドン郊外にマイホームを購入済み。2006年にオランダで開催される世界選手権にイギリス代表入りを目指して練習中であることを欧州各国で放浪中で、この大会参加の為にスウェーデンから掛け付けた元アイルランド代表の友達が苦い顔をしながら教えてくれた。

他には、長らくカヌーポロ界の顔であったと言っても過言ではないAlan Vesseyが昨年のWorld Gamesを区切りにやはり引退したことも耳にした。1996年にうちの佐倉がイギリスに遠征に行ったときに初めて彼の名前を耳にして以来、何かと憧れの存在であったが、そんな彼が引退したという事実にカヌーポロの歴史の大きな区切りを感じずにはいられなかった。

23日の金曜日で今年の授業が全て終わり、年末年始休暇に入った。2005年も残り僅か。今年はロシアの年末年始を存分に楽しみたいと思っている。












с новым годом!

謹賀新年 本年もよろしくおねがいします

ロシアに来て気付けば早半年。

新しい国、新しい言葉、新しい環境、新しい生活。2005年は慌しい中に過ぎていきましたが、色々と貴重なことが経験できた1年でした。今年の夏にはペテルブルグでの1年間の学生生活を終え、また違う地に赴任する予定です。2006年は言語に止まらず更に貪欲に色々なことを吸収したいと考えています。

2006年が夫々にとって良き年でありますよう。


Сюхэи Иванага/岩永修平











5月上旬、モスクワで大会があった。


屋外で行われた今シーズンの第一戦にて、1部4チーム、2部4チーム、3部6チームの計14チームの参加があった。

今回の大会に参加して感じずにはいられなかったのは、ロシアにおけるカヌーポロの普及である。

昨年の8月に開催されたスラロームのロシア選手権大会とジョイントで開催された大会が僕にとっての初めてのロシアにおける大会参加となった。その頃はまだ定期的なポロの練習はなく試合はぶっつけ本番、競技性に乏しく、カヌーポロはスラロームの余暇という感覚が否めず、大会運営も杜撰にて、今まで参加してきた大会と雲泥の差を感じずにはいられなかったのが正直なところであった。

カヌーポロそのものの大きな違い、言葉の壁、普及の難しさを実感しながらも、しかし、気が付けば、回りのチームメートがもっとポロをやりたいと言ってくれ、ポロの練習が定期的に行われるようになり、大会で多くのチームが参加するようになっていた。大会の質も、カヌーポロとしての競技性だけでなく、大会運営の質を含め大きく伸びていることを実感している。

個人として普及の為に何かをしたということはほとんどない。実際のところを話すと、僕個人で出来ることには所詮限界があるとの諦めの気持ちを持っていた時期は短くない。ただ、そういう気持ちを持ちながらも、ただ続けたことで、何かしらロシアのカヌーポロの為に出来たところがあったのかなと思っている。

それにしても、このマイナーなカヌーポロというスポーツの普及を実感出来ることは、このスポーツに長年携わっているものとして何よりも嬉しいことである。

ロシアカヌーポロの当面の目標は更なる拡大。そして、代表の結成である。代表結成の話は既に出ており、それは来年の欧州選手権参加が出来るのかということで話が進められている。

既に参加制限を設けている世界選手権へのロシア代表の参加。2008年のカナダ/エドモントンになるのか、2010年のイタリア/ミラノになるのか、はたまたその先になるのか。ロシア代表の世界選手権参加は僕の夢でもある。


shuhei

追記 

今年の7月からカザフスタンに異動になります。新天地にてまた頑張りたいと思っています。
また私事にて恐縮ですが、結婚することにしました。














ここペテルではどこかに行こうかと思ったとき、色々な乗り物がある。

通常のバス、地下鉄に加え、路面電車、マルシュルートカと呼ばれるハイエースぐらいの大きさの循環バス、そして白タク。

白タクとは、そこらへんを走っている通常の乗用車を止め、行き先を伝え事前に個別に値段交渉するものである。30分くらいかかる距離でも大抵200ルーブル(約800円)程度で行ってくれ、タクシーという感覚で考えると日本より格段に安い。

これに加え、白タクは日本のように後部座席に座ることがなく、助手席に乗る為、運転手と色々会話することが多い。ロシアに来て以来、会話の練習になるということもあり、白タクは重宝している。

さて、白タクに乗ると必ずと言っていい程聞かれるのが「どこから来たんだ?」ということである。当然「日本からだ。」と答えるのだが、この後の反応は決まって「日本か!いい国から来たんだなあ!」と言われる。

今更で恐縮であるが、世界地図を見て頂けると分かるが、日本は地理的にとても小さい国である。更に、欧州で一般的に流布している世界地図は、欧州が中心になっている為、日本は東の隅っこ(本当に隅っこ)に位置しており、文字通り極東であることを実感する。

世界地図を眺めると改めてロシアの地理的な巨大さを再認識するのだが、そのような地理的にも大国であるロシアに住む人々にとって、このような極東の島国日本がこれだけ経済成長を果たしているのは驚異に値するのである。

TOYOTA、NISSAN、HONDAの日本車から始まり、Sony、Panasonicなどの電化製品、そして、三島由紀夫、阿部公房などの日本文学。白タクの運ちゃんはびっくりするぐらいに日本のことを知っており、そしてこの極東の島国への興味を持っている。

因みに、ペテルでは(モスクワでも)日本食が大人気。日本食のレストランは街中の至るところで目にすることが出来る。また、これはロシアに限ったことではないが、村上春樹人気も相当のものがある。

今でも覚えているが、初めて練習に行った時も、まだロシア語が全く話せず、少ない単語だけを?ぎ合わせてチームメートと会話した時に出てきたのも、「ハルキムラカミ」であった。因みに、そのチームメートは、ネットからダウンロードした「海辺のカフカ」の訳書のコピーを持っており、僕に感想を聞いてきた。






トヨタと日産の工場進出が決定しているペテルブルグにおける日本への感心は、これから更に高まることが予想される。

日本への感心が高いロシアとは対照的に、日本におけるロシアへの感心は決して高いと言うことは出来ない。ペテルでの生活も残り僅かであるが、そんなロシアの側面を、遅ればせながらではあるが、少しでも紹介したいと思う。

 












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